江戸しぐさの本来の意味
江戸しぐさという言葉を知ったのは、公共広告機構(AC)のCMを見たときでした。
それまでは、そんな言葉聞いたことすらありません。
江戸ッ子なのに。。。(汗
一応、曾々祖父が江戸のはずれではありますが、
通新町(現在の都電:三ノ輪橋駅付近)で魚屋をやっていた(その先の先祖のことは知りません)
ので、3代以上続いていますから、正真正銘、私は江戸ッ子です。^^)
でも、それまで、江戸しぐさという言葉を知りませんでしたし、
親も、祖父母も、近所のおじさん、おばさんも、
同じく江戸っ子の友人たちも、
誰もそんな言葉、言っていませんでした。
それも、道理。
江戸しぐさという言葉ができたのは、割合最近なんですね。
浦島太郎さん(=芝三光(しば・みつあきら)さん、本名は小林和男(和雄?)さん)が、
命名したそうです。
初めて江戸しぐさのCMを見たとき、
なんでこんな当たり前のことをCMで扱っているんだろう、
と驚きました。
こんなの、子供だってやってるじゃん!
あれ?やってた。。。なの?と。
わざわざ、取り上げるということは、最近はみんな知らない、やっていないの?
と、それにもびっくりでした。
「心ゆかしい、粋で、思いやりのある、礼儀正しい、日本人はどうなったの~?」
幸い、この江戸しぐさ。
さまざまなメディアにも取り上げられ、広められているようです。
良いことは、どんどん広めましょう!と、このブログでも江戸しぐさの数々をお話していきます。
江戸しぐさは、
江戸っ子の或るいは江戸時代のマナーだ、と思われている方も多いようですね。
そもそも、江戸しぐさというのは、江戸期の商人の生活哲学・商人道のことで、
商人(あきんど)しぐさ、繁盛しぐさといわれていました。
(『しぐさ』は『仕草』ではなく『思草』と表記します。)
口伝えで伝わっていた『商人しぐさ』を『江戸しぐさ』として、
世に広めたのが故・芝三光さんという方だそうです。
当時、商家にとって商人しぐさは門外不出。
なので口伝でしか残っていなかったらしいのですが、
これはもっともな話だと思います。
だって、商人しぐさ=商売繁盛のノウハウなわけでしょう?
その秘伝を、、戦後の荒廃した世の中のひとつの光になるのではと
芝さんが江戸しぐさとして紹介、普及されたんだそうです。
確かに今の世の中、江戸しぐさがもてはやされるなんて、おかしな話。
江戸しぐさはできて当たり前な世になって欲しいです。
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江戸の子育てしぐさ
子育てで、現代の親が頭を悩ますこととして、教育があげられると思います。
江戸では、教育という言葉は使わず、
知育に重点を置く現代の教育と違い、命の成長や自立を手助けする養育や鍛育が中心でした。
江戸町衆の子育てしぐさは
「三つ心、六つ躾、九つ言葉、十二文(ふみ)、十五理(ことわり)で末決まる」という、
稚児の段階的養育法を言われるものです。
○三つ心
江戸の町衆は、人間を脳・体・心の三つから成っていると捉え、心は脳と体を結びつける糸のような物と考えていました。
そこで、3歳までに、この糸を綿密に張らせようとしました。
心がなければ人形で、人間ではないという認識があったようです。
○六つ躾
次に6歳までに、3歳までに張った糸を自由に動かす動かし方を訓練させました。
往来しぐさや日常茶飯事のしぐさなど、癖となるまで繰り返して訓練し、身につけさせました。
○九つ言葉
9歳までには、商人の子供らしい挨拶、大人の言葉、世辞が言えるようにしました。
商人の将来性は、ほとんどこの年で決まったそうです。
世辞というのは、今でいうお世辞ではなく、社交辞令、付き合い上の応対の言葉を指します。
○十二文(ふみ)
12歳までに、主人の代書(注文、請求書や苦情処理書など)ができるようにします。
商家の主人にどんなことがあっても、すぐに代行できるようにするためです。
○十五理(ことわり)
15歳では、物事の道理(経済・物理・化学・心理学など)が理解できるようにさせます。
この年齢になると、その子の将来がわかります。
商人に向く子や、学者の道に進む子など。
子供の個性を尊重して、能力を洞察し、将来を見抜いて、その子にあった道に振り分けるのが、
寺子屋の師匠の務めだったそうです。
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江戸しぐさは学びから
江戸時代の町方の学校と言えば寺子屋ですが、
寺子屋には一般の寺子屋と江戸寺子屋の2種類がありました。
一般の寺子屋は、私たちもよく知っているタイプ。
読み書きそろばんを中心に教えるところです。
江戸寺子屋は、商家の親たちがお金を出し合って師匠を共同で雇い、
どんな身分の子弟でも入れるものです。
自分たちの子供のための寺子屋なのですが、学びたい子は誰でもおいで、という
江戸商人の懐の深さを感じられるオープンなものでした。
その信条は、
「将来性のある者には、その者の長所を生かし、出来損ないのは、その短所を矯正し、海の者とも山の者とも分からない人間からは、その者の良い芽を引き出してやるべし」 出展:『「江戸しぐさ」完全理解』 越川禮子 林田明大
というものでした。
今の学校に聞かせたい言葉です。
出来損ないも見捨てない。
誰にでもよいところはある。
教育とはこうあって欲しいです。
そして、師匠は子どもたちに、
「寺子屋で、人と人との良い付き合いができる人間になるように勉強して下さい。人の心がわかる商人を目指してください。」
と話すそうです。
今なら、「がっつり稼ぐ商人になってください。」とでもいいそうですが、
「人の心がわかる商人」を目指す。
稼ぐことは、ニの次なんですね。
当然、人の心がわかる良い商人になれば、自然と稼げることでしょう。
今の時代だと、「稼ぐためには、人の心を理解すること。」と、稼ぐためのノウハウとして教えるのでしょうけど、
江戸では、人の心を分かること自体を目標に、子供たちは勉強しました。
結果は同じでも、優先順位が違います。
寺子屋での勉強は、見る・聞く・話す、そして、考えることに力を入れていました。
人間教育を一番に考え、9割が行(おこない)、1割が書物などの知識からの学び。
習字をするのにも、生活に密着した言葉を選んで、文字を書きながら、生活について学びます。
また、6歳までに古典に親しみ、9歳までにはボキャブラリーを増やすため、
大人の言葉でどんどん話しかけたそうです。
これは、言葉づかいを学ぶため。
言葉遣いといっても、単に丁寧に話すということではなく、
「おはようございます」+「今日はよいおてんきですね」というように、
世辞(お世辞とは違います)が言えるようにトレーニングするのです。
また、そのためにブレーンストーミングやロールプレイングなどが行われていたそうです。
200年も前の、ちょんまげの時代に、今でいう小学生たちがですよ。
ずいぶん進んでいたのですね。
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江戸しぐさの誕生
江戸は、徳川家康が江戸幕府を開いてから100年もしないうちに、
日本全国から人が押し寄せ、人口100万人の大都市に生まれ変わりました。
江戸には元々江戸に住んでいる町民と、大名の江戸屋敷に住む武士、地方から江戸へ移り住んだ町人など、さまざまな人が生活をしていました。
国の違い、身分の違いで文化が異なります。
江戸は異文化が共生している町でした。
文化が異なる人々が密集して住んでいる。
当然、そこには諍いが生じます。
江戸町人のリーダーである町衆は、江戸が争いやいじまが起きない平和な町になるよう、
異文化の人々が仲良く強制していけるよう、
知恵を絞りました。
そのために、自分たちが模範となって、
相互扶助、共生の心構えを行動に映していきました。
そして、その行動をみんなが真似るようになり、
やがて行動せずにはいられない江戸っ子の癖となっていきました。
その江戸っ子の癖が江戸しぐさとなりました。
江戸しぐさは、相互扶助、共生の精神が根底にあります。
ここでの共生とは、自立した人々がお互い対等に付き合えることを言います。
江戸しぐさを始めに考えだした町衆とは、商人たちです。
なので、江戸しぐさは元々、「繁盛しぐさ」とか「商人(あきんど)しぐさ」と呼ばれていました。
そのため、江戸しぐさは商売のためのものと誤解する方もいらっしゃいます。
でも、商売の基本は人づきあい。
商売繁盛とは、人づきあいがうまくいって初めてもたらされるものです。
江戸の商人たちは、良い人間関係が築けるよう、考え、勉強し、江戸しぐさを作り上げました。
ですので、江戸しぐさはすべての人のための、良い人づきあいができるための基本ノウハウといえます。
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